モフモフだんごの部屋

一人部屋がほしい主婦の勝手気ままなブログ

学校検尿で再検査になったら…

先日、子どもの学校尿検査が再検査になった…というお話を書いたが、二次検査も陽性となり、精密検査を受けることになった。
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無事に検査は終わり、結果もでた。
無事に小学校も卒業した。

これも経験のひとつとして、
学校検尿で再検査になったときの大まかな流れを書いておこうと思う。

今年度はコロナの影響で4月に行われるはずの尿検査が8月となった。娘は体調の関係で9月に提出した。

尿検査の流れ

一次検査…9月半ば

二次検査…10月初旬

精密検査…11月初旬

結果通知…12月末

結果確認…1月初旬


2学期の終業式に通知が届いた。

「検査の結果が出たので、精密検査をした病院へ行って結果を聞いてください」
という内容だった。


結果は通知されへんのかーい!


…と思わず通知書にツッコんでしまったけれど、
検査の結果はお医者さんが伝えるものか…と思い直した。

結果が知らされるのが遅いのは、

教育委員会や市(県)の医師会が管理する検査方法を選んだから。

市(県)が管理する検査をした理由

①公費で検査をしてもらえる

あ、セコいわけではなくて。
いや、やっぱりセコいのか、笑。
一市民として恩恵に与った次第です😅
一般の検査だと、診断書の提出など金銭面の負担があるかもしれない。

②検査データが教育委員会が管理

中学生になったら、健康関係の書類の記入が多い💦
独自に精密検査をしていたら、診断書だとか、
生活指導の書面なんかが必要になる可能性がある。
市や県の管理で検査をしておけば、地元の中学校であれば、入学した時にデータが引き継がれる…はず。

検査を終えて

検査の結果、娘は「無症状血尿」という、まぁ、何故かはわからないけど血尿が続いてるよ…という診断だった。
精密検査から診断が通知されるまでの時間が長かったので、何か大変な病気…というわけではないとは思っていた。
ただ、親の心情としては、早く結果を知りたかった…というところ。

一般の精密検査を受けていれば、一週間程で結果を知ることができたと思う。

今回、たまたま市(県)の管理する検査方法を選んで知った検査結果確認までの道のり。学校検尿で再検査になった時に参考になれば幸いです。

祖母を思う

祝日、春分の日

彼岸に思うこと。

この時期になると私は祖母のことを思い出す。

祖母は小学校の先生だった。

私が小学生になる頃 、つまり南国から日本へ帰ってくる頃 に定年退職した。
祖母は孫の私のことも、小学校の先生の視点で見ていたのだろう。
日本に帰ってきた私の言葉の遅れを指摘したのは母ではなく祖母だった。

祖母は毎晩電話をしてきた。そして私は電話口で国語の教科書を音読した。
毎日毎日続いた。

二、三ヶ月に一度、祖母は家に来た。風呂敷に絵本を何冊も包んで持ってきた。
祖母はその絵本を一冊ずつ私に読んで聞かせてくれた。滞在中、何度も何度も読んでくれた。祖母が帰った後は 一人で 絵を眺めながら字を追っていた。すっかり絵本が大好きになった。

「電話で音読 」は小学校二年生の終わり頃まで続いたと思う。
祖母のおかげで 私は学年相当か、それ以上の国語力を身につけることができた。


「子どもができたら絵本をたくさん読んでやりゃあよ。」と美濃の言葉で話していた祖母。


私は娘が生まれて半年の頃から絵本を読んでいた。つい最近まで読んでいた。 娘たちは本が大好きな子になった。

娘たちは、
「もし私に子どもができたら、たくさん絵本を読むんだ」と言っている。


西は彼岸の方角だという。

「おばあちゃん、本好きは娘たちにしっかりと受け継がれていますよ。ありがとう。此岸で私はもう少しがんばるよ。」

西の空に向かって話しかけた。

親離れ子離れ

今週のお題「〇〇からの卒業」

卒業シーズン。
今月、 下の娘が小学校を卒業する 。

娘の通う小学校では、絵本の読み聞かせのボランティアがあった 。
上の娘の時から読み聞かせのボランティアをしていたので下の娘のクラスへも読み聞かせに行った。

1年生の頃は、体育座りをして絵本を見つめる子供達が小さくて可愛らしかった。

4年生くらいになると、 静かに話は聞いてくれるが、 面白い場面で声を出して笑ったり、合いの手を入れるようなことが少なくなった。

5年生になると 話の内容も少し難しくなり、じっと静かに耳を傾けてくれた。
体育座りの子供達は、体が大きくなり顔がとても大人っぽくなっていた。

6年生はコロナの影響で読み聞かせができなかった。尻切れトンボみたいな終わり方だった。

卒業を前に5年間読んだ絵本のリストを作った。
本のタイトルを見ていると、自分が担当した絵本がいくつもあった。
お話の内容も思い出した 。
子供達の反応も思い出した。

卒業するのは子供たちなのに、私の方が寂しいのはなぜだろう。


中学生になると、親の出番はほとんどない。
今まで繋いでいた手を離す時期だ。

娘が小学校を卒業するとともに、
私も小学生の母親を卒業。

母親業も春から新しくなる。

こうしてひとつひとつ子育てから卒業していくのかぁ…としみじみ思っているこの頃です。
自分の時間をどう使うか…迷子の状態です。

賃貸暮らしの良さ

いつの間にやら3月。
予定が詰まっていて最終更新から10日以上が過ぎていました。

3月、4月といえば
別れの季節。
新しい生活が始まる季節。
引っ越しの季節ですね。

引っ越しが多い我が家は賃貸の家に住んでいます。この地に引っ越してきて9年。今の家に引っ越してきて4年。
ママ友には賃貸に住んでいることを驚かれます。
そして口を揃えて「なんで家を買わないの?」と
聞かれます。

色々と理由はあります。

・転勤族だから。
・ライフスタイルにあわせて住む場所を変えたいから。
・家の管理が楽だから。

ごくごくフツーの理由を書いてみましたが…。

私達は、1ヶ所にどっかりと腰を据えて住む生活が性に合わない…というのが本当のところです。
旅をするように生活をしている…と言えばいいのでしょうか。

引っ越しで新しい土地へ行く度に思うことは、「視野が広くなる」ということ。
土地が変われば人も変わり、考え方も習慣も違う。新しい発見の日々です。
そして引っ越しが多いと、自動的に断捨離されます。常に身軽でいられる。

…前世は遊牧民だったのかな…。

そんなことを思ってしまうほど、住居が定まらない。

もし家を買って落ち着くとしたも定年後だろうなぁ。


ライフスタイルによってササっと移動(引っ越し)ができるのが、賃貸暮らしの最大のメリットだと思います♪

にゃんこの日

2月22日はネコの日🐈

実家の猫たちが20才になったと、
母が電話をしてきた。

実家の猫2匹は両親が異国にすんでいた頃に
飼い始めた猫だ。

南国生まれのその猫たちは、
日本の猫よりも少し耳が大きい。
そして尖っている。
顔立ちは顎がシャープで目が大きい。
脚もスラッとしている。
模様は三毛。しっぽは長い。

両親が日本へ帰るときに、一緒に日本へやって来た。
初めての冬は寒かっただろう。
両親に可愛がられ、私に「お嬢様」と
呼ばれながら猫たちは20才を迎えた。

前に実家に帰った時に「お婆様」と
呼んだら大きな目でギロリと睨まれた。
日本語もよく理解している。

母は猫たちの世話を「老老介護よ」と笑いながら話していた。
猫にも認知症というものがあるらしく、鳴き声とも叫び声ともいえない声を突然出すという。

両親にとって「お嬢様」は
とても大切な家族。
1日でも長く両親のそばにいてやってほしい。

告白します

今週のお題「告白します」


なかなかドキッとするお題。

恋愛の「告白します」ならキューーーン❤️
だけど、
「カミングアウト」の方の「告白します」は
なかなか心臓に悪い。



私は結婚して、子どももいて、家事育児をして、仕事をちょっぴりして、毎日忙しく過ごしている。どちらかというと世間では「しっかり者の働き者」のイメージらしい。実際自分でもよく動くなぁと思う。



さあ、ここで「告白」。
実は…



私はスーパーズボラッチョ、笑。



「ズボラ」にも程度があって…。
私はなかなかのレベルだと思っている。


独り暮らしをしていた頃、
同じ食事メニューを10日続ける、なんてことはザラだった。

白米、インスタント味噌汁、目玉焼き、キュウリ丸かじり、トマト丸かじりというズボラ飯。

少々潔癖なところがあるので水回りだけは掃除していたが、「ホコリで人は死なない」主義。

休みの日は一日中パジャマで過ごし1日の歩数が50歩にも満たない程、テレビの前に鎮座し、ダラダラゴロゴロ。

手を伸ばせば全ての物が届くように配置された物たち。手を伸ばして届かない物はあきらめる。

そして、出不精。


…こんな私が結婚をして変わったのか?
と聞かれると答えはNO。
根本は変わっていない。
ズボラッチョである。


結婚をして一緒に過ごす相手ができたから、生活が整った。
子どもが生まれたから「ホコリで人は死なない」主義を封印できた。
仕事をしているから時間を大切するようになった。
PTAや地域の会に参加しているから出不精ではいられない。


私がズボラを封印して人として真面目に過ごせているのは周りの人のお陰なのである。


私は一人では人としての生活が成り立たないほどのズボラなのだ。

私はひとりが好きなのだが、ひとりになってしまうと、とたんにズボラッチョが顔を出す。

本当に困った人間なのだ。

これが私の「告白」。

スイーツの神あらわる

今週のお題「チョコレート」

この時期になると、街中がチョコレートの香りがするんじゃないかっていうほど、お店というお店にチョコレートが並んでいる。

体質的に私はチョコレートを控えているけれど、プレゼントすることは大好きだ。

とても昔の話になるが、高校生の頃のこの時期、女子たちの間では

誰にチョコをあげるのか=誰に告白するのか

と言う話題でいっぱいだった。

サッカー部の○○君

同じクラスの○○くん

選択科目が同じ○○くん

部活の○○先輩

社会科の○○先生

通学の時、電車で一緒になる違う学校の人


…毎日恋バナ祭りで楽しかった。

真剣なんだけどどこかお祭りのような感覚もあって…。これが女子高生のパワーなのでしょうか。

かくいう私は、その当時好きな人もなく男女問わず友達といるのが一番楽しい時期で、友チョコ作りに励んでいた。

その友達の中の一人にバスケットボール部の男の子がいた。
北斗の拳ケンシロウのような風貌で少し話しかけづらい雰囲気だった。
でも話してみると読書家で本をたくさん紹介してくれたり、甘いもの好きだということがわかった。

そして迎えた2月14日。
告白する女子たちはいつもより少しおしゃれをして、ソワソワしていた。

友チョコ祭りの私や他の友達は、手作りお菓子の交換会となっていた。

私はチョコレートが入ったパウンドケーキを作って友達に渡していた。
そして、バスケットボール部の彼にも渡した。
彼は「ありがとう」と受け取り、お昼休みに食べていた。
食べ終わってから私の席へ来て、
「あのケーキ旨かった~。ああいう焼き菓子って洋酒が入ってることが多いけど、オレはそれが少し苦手で。モフモフだんごのケーキは洋酒が入ってなかったからよかったわ~。」
とお褒めの言葉と詳しい解説 。

焼き菓子に詳しいんだな。本当に甘いもの好きなんだなーと思った。

そして1か月後。
彼は大きな紙袋を持って学校へ来た。
昼休みに彼は私を含め友達を席に呼んだ。
紙袋からホールケーキに使う大きな箱が出てきた。
その箱を開けると、シフォンケーキがホールのままで入っていた。
そして紙皿、フォークを出してきてそれぞれに配り、慣れた手つきでケーキを切り出した。
切り分けたケーキを紙皿にのせた後、紙袋からタッパーを取り出した。開けるとそこにはイチゴジャムが。
イチゴジャムをケーキの横に手際よく添えた。

「はい!オレからのお礼。本当は生クリームを持ってきたかったんだけど、さすがにそれはできなくて…。ジャムも手作りだよ!」

と彼がにっこり笑って言った。

一口ケーキを食べてみると「‼️」。友達と顔を見合わせた。

甘さ控え目だけど美味しい!ジャムと一緒に食べると酸味と甘味がちょうどいい!本当に美味しいケーキだった。私達女子が作るよりもずっと繊細で完成度の高いお菓子だった。


ケンシロウ、まさかのスイーツの神。

その後、女子からは羨望の眼差しで見られるのであった。