祖母を思う
祝日、春分の日。
彼岸に思うこと。
この時期になると私は祖母のことを思い出す。
祖母は小学校の先生だった。
私が小学生になる頃 、つまり南国から日本へ帰ってくる頃 に定年退職した。
祖母は孫の私のことも、小学校の先生の視点で見ていたのだろう。
日本に帰ってきた私の言葉の遅れを指摘したのは母ではなく祖母だった。
祖母は毎晩電話をしてきた。そして私は電話口で国語の教科書を音読した。
毎日毎日続いた。
二、三ヶ月に一度、祖母は家に来た。風呂敷に絵本を何冊も包んで持ってきた。
祖母はその絵本を一冊ずつ私に読んで聞かせてくれた。滞在中、何度も何度も読んでくれた。祖母が帰った後は 一人で 絵を眺めながら字を追っていた。すっかり絵本が大好きになった。
「電話で音読 」は小学校二年生の終わり頃まで続いたと思う。
祖母のおかげで 私は学年相当か、それ以上の国語力を身につけることができた。
「子どもができたら絵本をたくさん読んでやりゃあよ。」と美濃の言葉で話していた祖母。
私は娘が生まれて半年の頃から絵本を読んでいた。つい最近まで読んでいた。 娘たちは本が大好きな子になった。
娘たちは、
「もし私に子どもができたら、たくさん絵本を読むんだ」と言っている。
西は彼岸の方角だという。
「おばあちゃん、本好きは娘たちにしっかりと受け継がれていますよ。ありがとう。此岸で私はもう少しがんばるよ。」
西の空に向かって話しかけた。